強烈な末脚でライバル達を抜き去っていった名牝ブエナビスタ。
そんな圧倒的な強さを誇った名牝ブエナビスタの生涯も決して順風満帆とはいかず波乱万丈の競馬人生でした。
彼女が最後に流した涙の意味は何だったのか。
そこで本記事ではブエナビスタの涙についてや、降着など生涯についてまとめましたのでご紹介したいと思います。
最後までお読みいただけると嬉しいです。
ブエナビスタのプロフィール
- 名前:ブエナビスタ
- 誕生日:2006年3月14日
- 父:スペシャルウィーク
- 母:ビワハイジ
- 母の父:Caerleon
- 生産者:ノーザンファーム
- 馬主:ノーザンレーシング
- 調教師:松田博資
- 主な勝ち鞍:桜花賞 オークス 天皇賞(秋) ジャパンカップ
ブエナビスタのデビュー戦のメンバーがすごかった!?
2008年10月26日の京都競馬場の新馬戦でブエナビスタはデビューしました。
1番人気に支持されたブエナビスタでしたが、スタートで出遅れ最高方からの競馬となってしまいました。
しかし、強烈な追い込みで先頭に迫りましたが結果は3着と負けてしまいました。
このレースの勝ち馬はのちに皐月賞になるアンライバルド。
2着馬は翌年のクラシックの主軸メンバーとなるリーチザクラウン。
4着には後の菊花賞馬になるスリーロールスが出走していました。
出遅れながらこのメンバーで3着に入っていたことを思えば、とんでもない能力を秘めているとわかりますがこの時はまだ誰もブエナビスタがのちに競馬界の主役になるとは思っていませんでした。
3歳春は全勝!
新馬戦こそ3着に敗れたブエナビスタでしたが、その後2歳未勝利で初勝利を収めるとそのまま阪神JFへ出走します。
2戦しか経験していませんでしたが、見事初重賞挑戦でG1制覇を成し遂げました。
その後も危なげなく桜花賞も制覇。
しかし、オークスでは鞍上の安藤勝己騎手が4コーナーで進路の選択に迷い追い上げが遅れてしまい万事休す。
そこからブエナビスタはものすごい末脚を繰り出し先に先頭に立っていたレッドディザイアをゴールギリギリでかわし牝馬二冠を達成しました。
このオークスでの騎乗について安藤勝己騎手はこのように語っていました。
「負けてなくてよかったと思います。ゴールを過ぎてからレッドディザイアと変わったと思っていたくらい、勝った自信はありませんでした。
4コーナーの手前で内へ行くか外へ行くか迷ってしまい、しまったと思ったので、今日は馬の力で勝てたようなものですね。うまく捌いて4コーナーで内を通った方が楽だったかもしれません。」
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ブエナビスタ自身の力でもぎ取ったオークス。
このあと、ブエナビスタの順調だった競走生活が少しずつ歯車が狂っていってしまうことになります。
凱旋門賞を断念することに!?
陣営はブエナビスタが阪神JFを勝利した直後から凱旋門賞を意識していたそうです。
陣営は桜花賞とオークスを勝利し、なおかつ札幌記念に出走し勝利したら凱旋門に出走するという条件で計画を練っていました。
桜花賞、オークスを順当に勝利したブエナビスタは、凱旋門賞の最後のステップとして洋芝が採用されている札幌競馬場の札幌記念に出走します。
しかしスタートが悪く後方からの競馬となったブエナビスタ。
最後の直線追い上げますが、先頭は走るヤマニンキングリーを捉えることができず2着と敗れてしまいました。
この敗戦を受けて調教師の松田調教師は
「オーナーと、勝ったらと話していて、負けましたからね。フランスには行きません。クラブの会員さんがいるので早めに決めて言っておかないとね。惜しかったけれど、“勝ちに等しい”ではダメです。勝ったらという条件でした。」
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この敗戦の結果、ブエナビスタの凱旋門賞は白紙となり、その後ブエナビスタはこのレース後に蹄のそこに穴が空いてしまう蟻洞を発症していたことが判明しました。
幸い、早期発見であったことから患部を除去し大事には至りませんでした。
牝馬3冠も逃し降着も味わう
凱旋門賞を断念した陣営は、この秋の目標を牝馬三冠に設定し秋華賞の勝利を目指しました。
札幌記念後も順調に調教をこなし、迎えた秋華賞。
ブエナビスタは1.8倍の1番人気に支持されます。
好スタートから中団の内側をとったブエナビスタ、直線では好位から抜け出したレッドディザイアを外から追い上げましたが、差し切るとこができずに並走したままゴール板を迎え、7cm差で2着と牝馬3巻までも逃してしまう結果となってしまいました。
それに加え、ブエナビスタは最終コーナーで馬場の外側に持ち出す際の斜行が、その後方にいたブロードストリートの走行妨害をしたと認定され、結果3着に降着となり牝馬三冠を逃すだけでなく降着処分という悪い結果で終わってしまいました。
絶頂期でまたも降着に
4歳になったブエナビスタは本格化を迎え古馬として安定した成績を残していました。
天皇賞・秋も圧倒的な強さで勝利して1番人気で迎えたジャパンカップ。
後方待機から直線大外から末脚を見せ、内のヴィクトワールピサ、真ん中のローズキングダムをかわし、後方に1馬身4分の3差をつけて、先頭でゴールを駆け抜けました。
しかし、このレースには審議となり結果、ブエナビスタは2着に降着となってしまいます。
2着のローズキングダムは繰り上がりの優勝となりました。
第1位入線の16番(ブエナビスタ)は、最後の直線コースで急に内側に斜行して6番(ローズキングダム)の走行を妨害したため第2着に降着となりました。
日本中央競馬会
この降着以降、ブエナビスタはスランプのような状態に陥ります。
1年越しにリベンジ成功⁉︎
ジャパンカップで降着になって以降、有馬記念、ドバイWC、ヴィクトリアM、宝塚記念と1番人気になりながら勝てない日々が続き、「ブエナビスタはピークを越してしまった」と言われるようになっていました。
降着によって完全に歯車が狂ってしまったブエナビスタ。
しかし1年後のジャパンカップでようやく本来の姿を取り戻します。
中団の内側で足をためていたブエナビスタは直線馬場の真ん中から先に先頭に立っていたトーセンジョーダンをクビ差抑えて、1年ぶり勝利を収めました。
引退式ではブエナビスタにも涙⁉︎
その後、有馬記念に出走しましたが7着と敗れてしまったブエナビスタ。
そのまま引退式を迎えましたが、この引退式でブエナビスタが泣いていたと話題になっていたようです。
画像を見ると本当に泣いているように見えますね。
1年間のスランプの末に勝ち取ったジャパンカップで燃え尽きてしまったのでしょうか。
ブエナビスタはとても賢い馬だったということで、自分の引退を知って過去の苦しいことや嬉しかったことを思い出していたのかもしれませんね!
まとめ
本記事ではブエナビスタの生涯や涙についてご紹介しました。
本記事でわかったことをまとめると
- ブエナビスタのデビュー戦のメンバーは後のG1馬が2頭も出走していた
- ブエナビスタは生涯にG1レースで2度も降着している
- ブエナビスタはジャパンカップで1位入選後の降着によりスランプに陥る
圧倒的な強さの印象しかないブエナビスタでしたが、振り返ると挫折することも多くあり大変な競走生活だったことがわかります。
これからは母親としてG1馬を輩出して、念願の凱旋門賞を勝利する仔を元気に産んでほしいと思います。
これかたもブエナビスタの子供達に注目していきたいですね!
最後までお読みいただきありがとうございました。