エルコンドルパサーの死因はなに!?凱旋門賞まで後一歩だった名馬の生涯を調査!

今でも語り継がれる名馬が多かった1998年。

そんな名馬たちの中でも異色の輝きを放っていたのがエルコンドルパサーでした。

グラスワンダーやスペシャルウィークも勝てなかった伝説の馬の軌跡はどんなものだったのでしょうか。

そこで本記事では、日本での戦績はたったの1敗だったエルコンドルパサーの死因や凱旋門賞へ挑戦した生涯をまとめましたのでご紹介します!

最後まで読んで頂けると嬉しいです。

エルコンドルパサーのプロフィール

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  • 出身地:アメリカ
  • 生年月日:1995年3月17日
  • 父:Kingmambo
  • 母:サドラーズギャル
  • 母の父:Sadler’sWells
  • 主戦騎手:蛯名正義
  • 馬主:渡邊隆
  • 調教師:二ノ宮敬宇
  • 主な勝ち鞍:NHKマイルカップ(1998年) ジャパンカップ(1998年) サンクルー大賞(1999年)

エルコンドルパサーの死因は⁉︎

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現役時代の功績から種牡馬への期待が高かったエルコンドルパサーですが、引退からわずか3年で生涯を終えることになってしまいました。

なぜエルコンドルパサーはそんなに早く天国にいってしまったのでしょうか。

エルコンドルパサーを死に追いやった病は、腸捻転という病気でした。

腸捻転はどのようなものかというと

腸管が腸間膜または腸管自体の長軸を軸としてねじれるもの。

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エルコンドルパサーは腸がねじれてしまい、ねじれた場所は血液が流れないためにそこから壊死してしまい炎症を起こしてしまったようです。

競走馬では疝痛と呼ばれており、このように腸捻転になりやすいようです。

馬の腹痛を伴う病気を総称していう。疝痛には便秘疝、風気疝、変位疝などがある。

馬は解剖学的に、

(1)胃の容積が小さく、胃の噴門の構造上嘔吐することができない。

(2)腸管が長いので固定されにくく、腸の位置が変わりやすい。

(3)腸管の太い部分と狭い部分があるため内容物がたまりやすい、など疝痛を起こしやすい構造をしている。

腸管等に原因があるほか、運動不足などでも発症する。特に、変位疝(腸捻転など)を発症すると開腹手術が必要となったり、致命的となることもある。

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運動不足が原因だったのでしょうか?

たった3年の種牡馬生活でしたが、ヴァーミリアンやソングオブウインドなどG1馬を輩出していますので種牡馬としてももっと成功していた可能性があっただけに残念すぎますね。

エルコンドルパサーは日本で一度しか負けていない!?

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エルコンドルパサーの競走馬として2年間しかレースに出ていません。

戦績は11戦8勝3敗で負けは全て2着という素晴らしい競争成績であり3敗中、日本での負けは1回のみで、残りの2敗はフランスでのレースです。

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一体、エルコンドルパサーを日本で破った競走馬はどんな馬だったのでしょうか?

その馬こそ伝説の逃げ馬「サイレンススズカ」でした。

エルコンドルパサーは無敗で4歳(現3歳)の春を終え、秋は毎日王冠から始動しました。

そして、この毎日王冠はサイレンススズカやグラスワンダーといった、のちに名馬と呼ばれる馬たちが出走していました。

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全盛期のサイレンススズカにただ一頭食い下がった、エルコンドルパサーでしたが2馬身半差つけられて初めての2着となったレースでした。

しかし、このあとエルコンドルパサーは4歳(現3歳)でジャパンカップに挑み、見事優勝を収めます。

ダービー馬のスペシャルウィークや牝馬で天皇賞(秋)を制していたエアグルーヴを抑えての勝利でした!

そしてこのレースを最後にエルコンドルパサーは、凱旋門賞を見据えて拠点をフランスに移すことになります。

凱旋門賞制覇に最も近づいた馬!?

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5歳(現4歳)になったエルコンドルパサーは最大の目標は凱旋門賞制覇と決まりました。

しかし、馬主の渡邊隆さんは日本馬が凱旋門賞でなかなか良い結果が出ていない原因をこう考えていました。

「凱旋門賞はポンといって勝てるようなレースではありません。

勝とうと思ったら欧州仕様の馬にする必要があるので、ある程度、腰を据えて挑戦しないといけないと考えています」

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こうした馬主の意向もありエルコンドルパサーは凱旋門賞の開催の半年前にフランスへ入り、フランスの馬場や雰囲気に慣れ、日本馬からフランス馬仕様へと変化していきました。

フランスの芝は日本より丈が長く、雨の日のぬかるんだ馬場では走りにくいためかフォームがめちゃくちゃな走り方をしていたそうです。

しかし、調教を続けて行くと丈の長い芝に合わせた走法に変化し、それに伴い筋肉の付き方も変わり、胴長で細身の馬体となっていました。

こうしてフランス仕様へと変化したエルコンドルパサーの凱旋門賞制覇に向けての戦いが始まりました。

フランスでの初戦は2着と敗れましたが、続く2戦目のG1サンクルー大賞で海外G1初制覇を成し遂げました。

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完全にフランスで戦えるまでにアップデートしたエルコンドルパサー。

この後、凱旋門賞の前哨戦としてフォワ賞を選択して、なんなく勝利しいよいよ凱旋門賞に挑みます。

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本当は中団からレースを進めたかったみたいなのですが、スローペースでかかっってしまい蛯名騎手は、体力を消耗させたくないためそのまま先頭に行かせたようです。

あと一歩のところでモンジューに差されましたが、日本馬の凱旋門賞制覇の夢を初めて感じられた瞬間でした。

エルコンドルパサーは、凱旋門賞を最後に引退が決まりました。

まとめ

本記事ではエルコンドルパサーの死因や凱旋門賞までの道のりをご紹介しました。

本記事でわかったことをまとめると

  • エルコンドルパサーの死因は腸捻転だった
  • エルコンドルパサーを国内で唯一破ったのはサイレンススズカ
  • エルコンドルパサーは半年間フランスで調教し、フランス仕様へアップデートし凱旋門賞に挑んだ

今日の凱旋門賞へのスケジュールの基礎を作ったエルコンドルパサーは、日本競馬が凱旋門賞でも戦えることを示しました。

もし、あの凱旋門賞で控える競馬ができていたら結果は違っていたかもしれませんね。

そして、日本の競馬に専念していたらもっと多くのG1を勝利していたことでしょう。

2002年7月16日にこの世を去ってしまい、エルコンドルパサーの血統を多く残すことができなかったことが一番悔やまれますが、今後日本馬が凱旋門賞を制覇した時にはエルコンドルパサーが残した功績も今以上に評価されると思います。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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